2011年5月26日木曜日

犬のペットブーム

東南アジアに来るのは約5年ぶりとなるのだが、びっくりするぐらいどこの町も変わってしまってる。

知ってる道だと思い歩くと道に迷ってしまう。そのくらい様変わりしていた。

町の変化もすごいが人の変化もすごい。

特に犬をペットとして飼うという習慣がはやっていることに驚いた。
夕方犬にリードをつけて散歩する人を多く見かけた、見た目で人を判断すべきではないのだが、リッチそうな人も露店のおばちゃんも犬を連れて散歩している。

とても新鮮だった。

実はこの事実に気がついたのは私ではなく、現地で知り合った八木君が気付いたことだった。彼が気付いて教えてくれたことによってまた新しい発見があった。

感謝!

村に住んでみた

今回主にバイクと自転車を使って回っていたのだが、一定期間シェムリアップ郊外の村にすませてもらった。

ランダムに村に入っては現金移転の現場はないかと散策していたのだが、まったくヒットしない。
しかし、友人や知人が多くでき、そのうちの親しくなれた友人が住んでいる村に滞在した。

村で寝床をもらい、村の人間と同じ水と飯を食い。子供と遊び日が昇れば起き農作業をし、昼になるとみんなでマンゴーかじりながら子供と遊んでいるか、大人とカードゲームをし、日が暮れると飯を食い寝る。

こうして少しずつ溶け込み実践していかないと本質は見えないと感じた。

日本のように仕事をしてお金を稼がないといけない物にあふれた社会がいいのか、お金を稼ぐというよりもこれから食べる食品を生産し、最低限の所得であまりものを買わない社会がいいのか。前者には時間のゆとりはなく、後者には時間的ゆとりがある。どちらにも利点と欠点があるが、どちらがいいのか考える材料になっている。

3週間近く悩んでいるが答えが見つかる者でもないことはわかっている。

もっと多くの経験をして行動しながら考えていかなければ。止まっててはだめだ!

就業率と所得

カンボジアで職に就いている人は少ないと思う。

主に都市部に集まっている人の多くも、期間限定で観光客案内やバイクタクシーをするために来ている人がおおく、ほとんどがお金がたまるまたはなくなった場合、村に帰って農作業をしているらしい。

これはあくまで調査ではなく、なんとなくカンボジア人と話していてみんなに共通する点だと思っただけだ。

知り合いや友人のカンボジア人の多く(シェムリアップ周辺)が、言うには70%くらいは安定した職をもっておらず、職を持っている人は限られた職種だという。たとえば、銀行や高級スーパー、外資ホテル勤めなどは高給取りでなかなかなれないらしい。また、町でよくみるトゥクトゥクなんかのほとんどは政府公認のドライバーではなく、そこらへんの人が普通にやっている。もちろん観光客が捕まえれた時のみ収入が入る。(距離と客によるが1$~20$程度)また、英語や日本語、韓国語、中国語をしゃべれると通訳として雇ってもらえることもあるそうで、私の友人の多くが語学に励んでいた。通訳だと1日20$~30$程度の収入が見込めるそうだ。といっても、言葉がわかるだけで仕事の幅も広がり、観光客としたしくなり案内などで収入が得られる。

とはいえ仕事がなくても食事には困らない人が多いみたいだが。


大体多くの人が都市部だと一カ月100$弱~70$程度で生活しているそうだ。農村部だと70$~50$程度らしいが、農村部の多くが川か湖の近くに点在しており、雨季になると漁業の臨時収入があり100$を超えることもある。そのかわり農作物収入がない月などにはその余剰収入で補い乗り切るそうだ。

国民の多くが農業に従事しているためお金がなくてもなんとかなっていると感じた。とはいえ、農産物に頼りお金を十分稼げない状況は脅威に弱いとも言える。もし、農作物がならなくなったり、関税撤廃などにより競争が激しくなり負けるかもしれない、そういった際に対応できる力や財力はないのかもしれない。

2011年5月11日水曜日

カンボジア調査

今更ながらカンボジアで調査やってます。

いやはや暑い、そしてやっと安定したネット環境を手にすることができた。

これからちょこちょこ書いていこう。

というわけで、現在カンボジア王国シェムリアップのゲストハウスに宿泊中。

2011年3月11日金曜日

沖縄フィールドワーク

Field work

2011/3/1~3/4 沖縄フィールドワーク  
目的:民際学の実践と沖縄の置かれる現状の理解
日程:
3/1
15時の便にて関空より那覇空港へ

松島教授宅にて食事会(うみぶどう、もずく、ポーポー、そーきそば、たーいも、かたはらんぶー、さーたーあんだぎー)
沖縄料理と泡盛を楽しみながら沖縄や地元文化について議論


3/2
宜野湾市役所の屋上から普天間基地の説明を受け、基地を抱える町の問題や市民の不安など本土にいては聞くことも、感じることもできなかった現状を目の当たりにする。

その後、沖縄国際大学にて砂川先生から基地と環境問題について話を伺い、基地が周辺にもたらすリスクについての具体的な内容を教えていただいた。

次いで平安座島に行く途中、うるま市の特別自由貿易地域に行き名ばかり特別自由貿易地域を目にする。空き倉庫ばかりで沖縄産業への影響がまるでないことが判明。

平安座島の自治会長下門さんから、平安座島の歴史文化、島民の願いと周辺の反発などの説明を受けた。島の開発のあり方を考えされられる内容だった。

旧コザ市(現沖縄市)にて、“まちづくりNPOコザまち社中”理事長照屋幹夫氏の説明を受けながらコザの町を案内していただいた。コリンザから見た基地と町の風景は不思議なものだった。シャッター街や米軍相手の店前を歩きながら歴史や町が抱える問題について大変興味深い話が聞けた。
また、夕飯時には沖縄タイムスの与那嶺記者、新崎記者から様々な話が聞けた。


3/3
沖縄県庁の観光政策課、文化振興課にて沖縄観光の実情の説明を受けた。観光業が抱えている問題点や沖縄側からのアクションなどの説明があったが、どうもニーズとのマッチでずれがあるように感じた。役人が中心となっているからか、どうも相手目線に欠けているのではと率直に感じた。

その後、沖縄県議会棟において上里県議と沖縄の置かれている状態や政治的な姿勢などについて意見交換した。

次いでおもろまちの那覇市議会仮議会にて平良議員と会い意見交換をした。
那覇市が抱えている問題や鳩山前首相の“方便”発言に対する意見など幅広い意見交換ができた。

このおもろまちとは元米軍管理の土地を返還後に都市開発した新都心なのだが、博物館の前にパチンコやがあるなど、不思議な都市になっていた。このような状態になった理由としてUR都市機構が土地の売却を仕切ったため、格安でろくな都市計画も決めないまま今に至ったらしい。


3/4
沖縄の町並みや本土との違いを見るため、那覇市内を徒歩で散策。大きな違いとしてあげられるのが、とにかくマンションが多い。そして、家賃が安くない。空室も目立ち、物価も安くなく、なおかつ賃金が低い。また、沖縄県人口140万人中沖縄本島南部のみで100万人を超えるという超過密状態。役所の説明では、東京以下大阪以上の密集率らしい。その上交通の便は車のみととにかく生活の特に金銭的な問題がかなり深刻であることがわかった。

12:30の便にて那覇空港より関空へ


今回のフィールドワークにて
紐付き補助金が沖縄県民のために利用されていない現状と構造的に追い込まれている沖縄県の姿が見えてきた。もしかりに、基地補助金を無駄な施設建設(大半が本土企業へ流れる)ではなく、市民生活に直結するような形で使用できたらどれだけ雇用が生まれるのだろうか、条件のない自由貿易地域であったらどうなっていただろうか。今回の調査は短期間であったが充実したものであった。

2011年2月26日土曜日

沖縄フィールドワーク予定確定版

沖縄フィールドワーク予定確定版
3月

1日
  ・6時教授宅にて食事会
 

2日
  ・朝10時に宜野湾市役所の屋上から普天間基地にて基地についての説明を受ける。
  ・沖縄国際大学の先生にお会いして基地による環境、人権問題について話を伺う
  ・沖縄特別自由貿易地域の現状を見学
  ・平安座島にて石油備蓄基地を見学
  ・平安座島公民館長から開発の歴史、現状について説明を受ける。
  ・嘉手納基地と地域社会との関係について話をうかがう


3日
  ・沖縄県庁の各部署において沖縄の文化、観光、基地等について担当者と意見交換
  ・午後政治家との意見交換

 といった内容の日程に決定。


 

2011年2月2日水曜日

エジプトは軟着成功?

チュニジアで大統領が逃亡しジャスミン革命が成功した影響で中東(主に北アフリカ)が荒れている。


とうとうエジプトも追い込まれムバラク大統領がその地位から下りることが確定したようだ。

昨日の時点でエジプト軍が民衆側につくのか大統領側につくのか情報が混乱していたが、軍部が大統領に見切りをつけたのだろう。チュニジアと似ているようだが、大きく異なる点がある。

先日アジアカップにて日本が豪州に勝った試合の最中、アルジャジーラがムバラク大統領の家族が亡命という内容の情報が流れた。まさかチュニジアの二の前か?と思われたが、ムバラクは後日も健在だった。
その後の出来事に関しては誰もが知っていると思うが、チュニジアでは軟着できなかったがエジプトはできるかもしれない、大統領の座をおりると宣言した。ムバラクがどれだけの利権を手にしていたかはわからない。しかし、ムバラクの周辺で利権を食い物にしていた人間は今後恐ろしい目にあうだろう。

大統領が逃亡する「大破」か大統領がその座を下りる「軟着」かどちらがよかったのかは定かではない。ただ一つ言えるのは、ゆっくりと国民にしわ寄せがくる可能性が高いということだ。


エジプトが国際的に重要な国であったことは報道の通りだと思う。たとえば、アメリカとの関係や国の位置、周辺国との関係など、挙げればきりがないだろう。
しかし、こうした重要な国家になりえていた背景にはムバラク独裁政権だったからできたことともいえる。

私たちの住む日本のそばにも似た体系の国家“中国”がある。この国も独裁体制のもとに国内政治を無視した国際政治外交が可能になり、さまざまなアクションを効率よく起こせてきた。ここで言いたいのは独裁国家はステップが軽いということだ。

チュニジア、エジプトが民主化されていくだろうが、以前のような状態からスタートではなく、白紙の状態からのスタートだということは忘れてはいけない。たとえ、軍隊や行政が残ったとはいえ、すんなりと国家機能が正常にはならないだろう。

多くの難題がこれから突きつけられていくことになるだろう。